犬種の特徴」カテゴリーアーカイブ

アメリカンピットブルテリア情報

犬種の特徴は、
血統書発行団体の規定に沿った内容です。

毛色等はその種に認められた規定になります。
体高、体重などは基本的なサイズとして規定に近いほどスタンダードに近いと言えますが、
近年の平均的なサイズを表しているものではありません。

家庭で飼われている犬・猫のサイズが、
規定より大きすぎる場合や、又は、小さすぎる場合、
それが健康に大きく影響を与えるものではありません。

犬のサイズに関係なく、健康管理は飼われる方の、
日頃から愛情持って接することで、体調の変化などに、
素早く気づき、対応していただくことが、何よりも重要です。


 

「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より(最終更新 2011年9月9日 (金) 04:53)

歴史 :この犬種が作出されたのは1870~80年代のころである。強くてたくましい闘犬とすることを目的にスタッフォードシャー・ブル・テリアや初期型のブルドッグなどを厳選して交配して作出された。 1900年代には公の場での闘犬が禁止され、幾つかの犬種は絶滅の道を歩んだが、ピットブルは強さと人気ゆえに闇賭博としての闘犬に使用されるようになった。 現在では公・裏での闘犬はどちらも厳しく禁止・制限されているため、ほとんどがペットとして飼われるようになった。 そのためかペット用のピットブルの性格はかなり獰猛な面が改善された。

日本には闘犬として持ち込まれた[要出典]。当時、日本闘犬界では土佐犬が主であり、米国から来たピットブルはならずもの扱いを受ける。しかしその闘争本能は卓越しており、大きな土佐犬を小さく細いピットブルが倒すという、劇的な試合を繰り返すことから、"PITBULL"という名は世に知られるようになった。

 特徴 :闘犬として育種されてきた犬種であるため、筋肉質で力が強く、身体能力は高い。 必要運動量は膨大で、毎日2時間以上の運動を1~2回必要とする。

強い闘争心に目を付けた一部の人達により番犬や護衛犬として利用された結果、人に牙を剥く獰猛な犬種として、世界の多くの国で危険視されることとなり、現在一部の国では飼育が規制されている。 闘犬の一種であるため、犬の飼育初心者や興味本位で飼育するのは困難である。

しかし、本来は我慢強く、素直で、人間には深い愛情を示す忠誠心と服従心が強い性格であり、また非常に賢い犬でもある為、早期の社会化と服従訓練をすれば犬からリーダーとしての信頼を得られるといわれている。 なお、現在ピットブルには、ショー・タイプ/闘犬タイプ/ブリー・タイプの3タイプに細分化されつつある

 アメリカン・ピット・ブル・テリアによる咬傷事故 :土佐闘犬同様、飼主がきちんと管理できていないことにより、子供や高齢者がアメリカン・ピット・ブル・テリアに襲われて死亡したり重傷を負うといった事故が度々発生しており、社会問題となっている。

 危険品種としての扱い :ショー・ドッグや家庭犬としてピット・ブルは受け入れられつつあるが、未だに一部の国では闇で闘犬として使われていたり、人を襲うガード・ドッグとして飼育されている。人気は高い一方、一般的には獰猛で危険だと思われているため、厳重な管理&監視を求められている。持ち込み・飼育を禁止にしている所さえある。

現にイギリス、ドイツ他では飼育が禁止されており、それ以前から“ペットとして”飼育されているものに関しては去勢・避妊手術を施してマイクロチップを皮下に埋め込み、登録をすることが義務付けられていた。

 

アフガン・ハウンド特徴

犬種の特徴は、
血統書発行団体の規定に沿った内容です。

毛色等はその種に認められた規定になります。
体高、体重などは基本的なサイズとして規定に近いほどスタンダードに近いと言えますが、
近年の平均的なサイズを表しているものではありません。

家庭で飼われている犬・猫のサイズが、
規定より大きすぎる場合や、又は、小さすぎる場合、
それが健康に大きく影響を与えるものではありません。

犬のサイズに関係なく、健康管理は飼われる方の、
日頃から愛情持って接することで、体調の変化などに、
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「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より(最終更新 2011年12月12日 (月) 10:02)

歴史 :紀元前4000年頃シナイ半島に存在していたといわれている。中東の古代犬種であるサルーキーが入ってきて、土着の犬種と交雑したのが始まりだとされている。砂漠の夜の厳しい寒さに耐えるためにコートが発達し、走る際重くならないように軽く変化した。 文献には18世紀に登場し、ガゼル猟の姿が描かれている。母国では山地でウサギやガゼル、ヒョウを単独で狩っていた他、家畜を外敵から守る番犬としても活躍していた。近年アフガニスタンでは内乱が多いため、アフガニスタン内では数が減りつつある。 アフガン・ハウンドは外見が美しいため、ショードッグとしても活躍するようになった。そのためにショードッグとして改良されたものと、元から猟犬・番犬用として用いられてきたものの2つのタイプが存在する。東洋の神秘的な犬として人気があり、ノアの箱船に乗った犬だと伝えられている。

 特徴 :体高61センチから73センチ、体重23キロから27キロと大柄な犬種。口吻が長く細面で、腰が高く、全身を絹のような長く美しい被毛が覆う。外見が優美なため、日本でも愛好家が多い。

視界の開けた場所でのシカや猛獣などの大型の獲物の狩猟に特化した犬種で、足裏が広くて肉厚なため、砂漠でもかなり自由に動ける。さまざまな犬種の中でもかなり起源が古く、最も古いタイプの狩猟犬の姿を現在に残す。

広大な砂漠での少数での狩猟を得意とする犬種のため、独立心が非常に旺盛で、意に反した命令をされることを嫌う。そのため、「世界一頭の悪い犬」という不名誉な評価も持つ[1]。 飼育には多くの運動と、しっかりとしたしつけがなければ、初心者には飼育の難しい犬種である。

 

アイリッシュ・テリア特徴

犬種の特徴は、
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毛色等はその種に認められた規定になります。
体高、体重などは基本的なサイズとして規定に近いほどスタンダードに近いと言えますが、
近年の平均的なサイズを表しているものではありません。

家庭で飼われている犬・猫のサイズが、
規定より大きすぎる場合や、又は、小さすぎる場合、
それが健康に大きく影響を与えるものではありません。

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「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より(最終更新 2011年11月3日 (木) 13:17)

特徴 :体高は約43-46センチ、体重は牡12キロ、牝11キロ前後。外見はウェルシュ・テリアに似るがウェルシュ・テリアよりは一回り大きく、全身が赤茶色一色であるのが特徴。ストップがあまり明確ではない。まれに胸に白いスポットが見られる場合がある。一般的には垂れ耳だが、個体によっては耳が立つものもいる。テリアの中では、比較的大型の部類に入る。

子犬は、全身が非常に細かい絹糸状の被毛に被われているが、ショータイプの個体の場合、プリッキングと呼ばれる、全身の毛を抜いて間引く作業を施すことにより、太くゴワゴワした被毛に変化する。伝統的には、尾を全体の4分の1断尾するが、最近では断尾すること自体が法律上禁止される国もあり、断尾されていない個体も増えてきている。

肉食小動物(アナグマ、キツネ、イタチなど)から家禽や家畜を守るために作成された種で、アイルランド南部のコーク州が原産。1800年代には現在の形に固定されていたと言われており、テリアとしては最も古い種の一つと言われる。テリアとしての本能が強く残されており、小動物や他の犬に対する攻撃性がある。また、動くものに非常に敏感に反応し、追いかけようとするため、しっかりとしたハンドリングが必要である。

運動性能は高く、非常に足が早い。またジャンプ力も優れており、泳ぎも得意。訓練性能も非常に高く、セット、スプリング、リトリーブなどもこなすため、猟犬としても活躍できる。第一次大戦中は、物怖じしない性格とその能力を生かして砲弾の飛び交う中、部隊間の伝令犬として活躍した。 頑固なところがあり、自分で考えて行動しようとする傾向が強いため、命令通りにコントロールするためには、根気強く訓練する必要がある。また、負の記憶力に非常に優れており、怖い思いをしたことや、主人に叱られたことをよく覚えているので、そうした体験を幼い時期に多く経験すると、神経質な個体になりやすい。

身分の貴賎を問わずアイルランドの人々に愛され、多くは農場で番犬・牧羊犬として活躍した。性格は「命知らず」と呼ばれるほど勇敢だが、主人には忠実で、家族の構成員には深くこまやかな愛情を向け、家庭犬としての資質も高い。家族であれば人間の子供の面倒もよくみる。遊びが大好きで、常に主人が遊んでくれるのを待っている。自分で遊びに誘うこともしばしばある。生粋のテリアであるため、初めて飼う犬種としては、まったく向いていないと言ってよいが、テリアの性質を理解している者にとっては、かけがいのないパートナーとなる。

運動量が多い犬種だが、忠実でよくなつき、毛の伸びるのは比較的早いので、定期的なカットが必要。体は丈夫で、先天性の疾患はほとんどみられない。テリアの性質を理解しているものにとっては、比較的飼いやすいが、テリア種に良くみられるように、牡と牝の性質がかなり異なる。牡は非常にけんか好きで、牡犬の多頭飼いの場合、トラブルにならないように常に注意を要する。

「レッドデビル」とよばれ、「ブルーデビル」とよばれるケリー・ブルー・テリアとともにアイルランドを代表するテリアである。

子孫のノーリッチ・テリアはイギリス東部に誕生し狩猟犬として活動し、帝王切開・目の疾患にかかりやすい。

 

アイリッシュ・セッター特徴

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体高、体重などは基本的なサイズとして規定に近いほどスタンダードに近いと言えますが、
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規定より大きすぎる場合や、又は、小さすぎる場合、
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「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より(最終更新 2011年5月19日 (木) 20:37)

歴史 :この種は1700年代にアイルランドで発展したもっとも古いセッター種である。 初期のアイリッシュセッターの毛色は、赤にところどころ白が混ざっており、アイリッシュ・レッド・アンド・ホワイト・セッターに近い犬種であった。JKCはすべて赤毛の場合しかアイリッシュ・セッターとは認定していない。

 性質 :人や他の犬に対して社交的、友好的である。
成犬になってもやんちゃな幼さが残る傾向がある(その幼さに魅力を感じる飼い主も多い)。
しつけが入りにくいと言われているが、一度覚えれば忘れない。
自分で考えたことを行動に出し、飼い主をリードしていくタイプ。
スポーツやアウトドアなどが大好き。
 飼育上の注意 :家族と屋内で一緒に暮らすことがベストであるが、屋外で飼うにしても家族とのコミュニケーションを十分に。
エネルギーに満ち溢れ、激しい作業に耐えられる体力などを有する犬種であるので運動不足によるストレスに気をつけること。
たれ耳のため、外耳炎に注意。
猟犬の性質は十分残っており、獲物を追いかける突発性の行動に対処できる飼い主が望ましい。
皮膚病を患いやすい犬種のため、不潔にならないよう伸びすぎた毛は整えた方がよい。ブラッシングは2~3日に一度行うのが望ましい。
進行性網膜萎縮症(PRA:Progressive Retinal Atrophy)という遺伝病の因子を抱える個体の割合が他の犬種と比較して多く、生後速やかにDNA検査を受けるのが望ましい。繁殖させる際はパートナーの遺伝子検査も行い、子が発症するケースは絶対に避けるべきである。[1]
 

アイリッシュ・ウルフハウンド特徴

犬種の特徴は、
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体高、体重などは基本的なサイズとして規定に近いほどスタンダードに近いと言えますが、
近年の平均的なサイズを表しているものではありません。

家庭で飼われている犬・猫のサイズが、
規定より大きすぎる場合や、又は、小さすぎる場合、
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「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より( 最終更新 2012年1月13日 (金) 00:47 )

特徴 :体高(肩高)が80cmを超える個体もあるといわれる体の大きさが最大の特徴である。体毛は粗く硬質、毛色はグレー・レッドである。長毛のグレーハウンドと相似であるため、両者は混同されることが少なくない(日本では比較的名の知られた後者と誤解される傾向がある)。オオカミより足が速く、全犬種中で唯一、単独でオオカミを倒すことができると言われている。心臓病・股関節形成不全にかかりやすい。

 歴史 :大型の犬であるアイリッシュ・ウルフハウンドは紀元前273年前には存在し、紀元前14世紀から15世紀頃までにギリシアからアイルランドに渡ってきたと考えられ、アイルランドでさらに大型化した。威風堂々とした姿はローマ帝国時代には首都(ローマなど。時期により異なる)へ貢物として献上されたほどであった。

18世紀まではアイルランド農民に必要不可欠とされており、その大きな体でオオカミやキツネなどから家畜を守っていたとされている。しかし、アイルランドからオオカミが駆除(人為的絶滅)され、それと同時にアイルランド農民から必要とされなくなった上、19世紀にアイルランド全土を襲った大飢饉の影響もあって、アイリッシュ・ウルフハウンドも絶滅寸前にまで追い詰められた。その後、同世紀後半に愛好家たちが絶滅寸前であった本種を保護し、他のハウンド種などと交配させて個体数を殖やした。

 ペットとして :その大きな体に似合わず気性は穏やかであり、家庭で飼うには決して不向きではない。日本でも100頭ほどがペットとして飼われている。しかし、体の大きさに見合う食物量と寝床のスペース確保が飼育のために必要であり、加えて、長時間の散歩も必須であるため、誰でも飼えるというわけではない。世界一大きなアイリッシュ・ウルフハウンドは、体重80kg、身長2mにも及ぶ。

 

アーフェンピンシャー特徴

犬種の特徴は、
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毛色等はその種に認められた規定になります。
体高、体重などは基本的なサイズとして規定に近いほどスタンダードに近いと言えますが、
近年の平均的なサイズを表しているものではありません。

家庭で飼われている犬・猫のサイズが、
規定より大きすぎる場合や、又は、小さすぎる場合、
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「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より( 最終更新 2010年11月17日 (水) 03:18 )

歴史 15世紀ごろにネズミ狩用の犬種として作出された。現在は絶滅したオーストリア原産のオーストリアン・ワイアーヘアード・ピンシャーをもとに数種類のテリアやワーキング・テリアをかけ合わせて作られた。もともとは純粋に作業犬として使われていたが、作出初期から愛嬌のある顔立ちであったため、後にペットとしてのみ飼われるようになった。その際完全に愛玩用専門の犬種になるように改良され、パグやブリュッセル・グリフォンと交配されて現在のようにサルのような顔つきでマズルのつぶれた小型犬になった。このような顔つきになったため、「サルのような」という意味で、ドイツ語でアッフェンとつけられた。ちなみに、愛玩犬として改良される以前からマズルはやや短くつぶれていたが、現在のように平坦なものではなく、いくらかそれが尖っていた中型犬であったといわれている。現在も世界的に人気のある犬種であるが、人気はブームなどに左右される事が無く根強いものである。日本でもあまり普及はしていないが熱心な愛好家とブリーダーが居り、1頭30万円ほどで販売もされている。なお、2009年の国内登録頭数順位は136位中122位であり、順位は低いが毎年登録がある。

 特徴 :サルのような顔つきでマズルがつぶれている。血が入っているため少々ブリュッセル・グリフォンにも似ている。剛毛のロングコートで、顔の周りの毛は深い。鼻髭や顎髭のような口吻の長い毛や目の上に生えた眉毛のようなブラシ状の毛がチャームポイントである。脚はやや長く、体格はスリムでコンパクトである。耳は前向きについている立ち耳か、立っているが耳先が垂れていて耳孔をふさいでいるボタン耳。尾はやや長い垂れ尾である。断尾が禁止されていない国では断尾を行って尾を短く切るのが普通であるが、時に断耳も行って耳を完全に立たせる場合もある。コートはつやが無く、目元は黒っぽい。その他の部分の毛色はブラック、ブラウン、グレー、ブラウンレットなどがある。性格は普段は物静かで忠実、しつけもよく入るが敵と思った相手に対しては激しく吠えたて猛然と立ち向かっていく勇敢な一面も持つ。体高25~30cm、体重3~4kg。

 

秋田犬の特徴

犬種の特徴は、
血統書発行団体の規定に沿った内容です。

毛色等はその種に認められた規定になります。
体高、体重などは基本的なサイズとして規定に近いほどスタンダードに近いと言えますが、
近年の平均的なサイズを表しているものではありません。

家庭で飼われている犬・猫のサイズが、
規定より大きすぎる場合や、又は、小さすぎる場合、
それが健康に大きく影響を与えるものではありません。

犬のサイズに関係なく、健康管理は飼われる方の、
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「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より(最終更新 2011年12月14日 (水) 07:21)

概要 

秋田犬(あきたいぬ)は、国の天然記念物に指定されている6つの日本犬種のうち、唯一の大型犬種である。日本人の間では忠犬ハチ公のエピソードで有名であり、主人に忠実な家庭犬の品種として、広く知られている。秋田県で闘犬や狩猟犬として飼育されていたものを品種固定した犬であり、現在も秋田県下を中心に家庭犬としての愛好者が多い。一部自治体では「特定犬」に指定され、檻の中での飼育が義務化されている。
特徴

大型犬で、体、肢、吻は、がっしりとしている。
毛色は主に赤(茶色)であり、鼻先や眉、腹・手足などが白い裏白。虎(黒色)、白色なども存在する。
三角の立ち耳、クルリと巻いた巻き尾などを特徴とする。
過去には闘犬・狩猟犬として飼育されたルーツから、高い身体能力を誇り、力も非常に強い。
主人には非常に忠実であり、番犬として飼われることも多い。
股関節形成不全、鼓腸症にかかりやすい。
歴史

秋田犬の犬種としての歴史は意外に浅く、品種として確立されてから、まだ100年程しか経ていない。品種として確立されるまでには様々な受難の時代があった。 遺伝子的には現在の秋田犬にも米国の研究チームにより、柴犬などのアジア原産の犬と同じルーツを持つ特徴が基本的に残っていることが確認されており、その中でも北方のマタギ犬由来とされる。
闘犬種としての前身
秋田犬の祖先犬は、「秋田マタギ」と呼ばれるマタギ犬(山岳狩猟犬)である。元来日本犬には大型犬は存在せず、秋田マタギも中型の熊猟犬であった。江戸時代、出羽国北部の秋田地方は、佐竹氏によって治められた。佐竹氏は関ヶ原の戦いの後に常陸国から転封された外様大名であり、江戸幕府によって藩内の築城や武力の向上が厳しく規制されたため、慶長年間の1630年(寛永7年)頃より、藩士の闘志を養うためとして闘犬を奨励した。佐竹家では久保田城の佐竹宗家を中心として、一族の東家、西家、北家、南家を、それぞれ久保田城下、大館、角館、湯沢に配したが、特に佐竹西家(小場家)の治める大館地方では闘犬が盛んとなり、体が大きく強い犬を望む人々の手によって、マタギ犬と土着犬などの交配が行われた。この犬が秋田犬の原種となるが、当時は秋田県内でもタイプに地域差があり、この犬は県北の大館・能代地方の「大館犬」と呼ばれるものであった。
時代が移っても秋田の闘犬熱は衰えず、明治時代になると、他の地方の犬種や外国産の大型犬種との交配が積極的に行なわれるようになった。1897年(明治30年)頃からは、秋田と並んで闘犬の盛んであった高知県から土佐犬が入ってきており(その後土佐犬は洋犬と交配を行って大型化する)、さらに日清戦争以降は、南樺太へ渡った人たちが持ち込んだ樺太犬や北海道犬も入っている。
一方、洋犬種としては、まず小坂銅山のドイツ人技師の飼い犬であったマスティフと思われる犬や、明治中期以降には、ジャーマン・シェパード・ドッグやグレート・デーンなどとの交配も行われた。これによって立耳、巻尾といったスピッツタイプ本来の特徴が失われた犬は旧来の秋田マタギに対して新秋田と呼ばれた。
江戸、明治と盛んに行われた闘犬だが、明治も末の1908年(明治41年)、社会的弊害に鑑みて、ついに県下に闘犬禁止令が発令された。警視庁が闘犬・闘鶏・闘牛を禁止するのが1916年(大正5年)7月26日のことであり、それに8年も先駆けての禁止令は、県下での白熱ぶりを偲ばせる。洋犬との雑化によるタイプの乱れに、闘犬禁止令、洋犬人気の高まりなどが重なって、秋田犬にとっては不遇の時代がしばらく続いた。
再作出への取り組みと天然記念物指定
大正時代に入る頃から、学識者や関係者によって、「秋田犬を保存すべし」という世論が高まりを見せた。保存運動の中心となったのは、雑化を危惧した時の大館町長(泉茂家)らである。このような動きは秋田犬に限ったことではなく、明治期の舶来文物偏重や交通の自由化等による洋犬等との雑化と、その反動としての保存運動とは、全国の日本犬に共通の動きであるが、秋田犬の場合は、闘犬のために雑化の程度にも甚だしいものがあったかもしれない。
このような流れの中、1919年(大正8年)には、種族保護に関する法律、すなわち天然記念物保存法が発令された。同法の制定に向けて中心となって動いた渡瀬庄三郎は、当時の「日本犬保守運動」の中心人物でもある。渡瀬らは翌1920年(大正9年)、内務省の視察団として、秋田犬の調査のために大館市を訪れたが、この時はタイプの雑化が甚だしく、天然記念物への指定には至らなかった。渡瀬は1922年(大正11年)の動物学会において 「日本犬の起源に就いて」と題する発表を行ったが、一番の議論の焦点は秋田犬であったという。
これ以後、同好者による秋田犬の繁殖改良・再作出への取り組みはいっそう勢いを増し、1927年(昭和2年)5月には、町長らによって「秋田犬保存会」が設立された。日本犬保存会(秋田犬、北海道犬、柴犬、甲斐犬、四国犬等の保存を目的とする)が東京に 設立されたのは、これより1年遅い1928年(昭和3年)6月のことである。
保存会の設立以降、秋田犬復興への取り組みはいよいよ本格的になり、1931年(昭和6年)春の、鏑木外岐雄らによる再調査を経て、同年7月31日、9頭の優秀犬が、「秋田犬(あきたいぬ)」として国の天然記念物としての指定を受けるに至った。これは日本犬としては初の天然記念物指定である。
この1年後の1932年(昭和7年)10月4日、帰らぬ主人・上野英三郎(東京帝国大学教授)を渋谷駅で待ち続ける秋田犬忠犬ハチ公の記事が「いとしや老犬物語」として朝日新聞に報道され、注目を集めた。2年後の1934年(昭和9年)4月には、東京渋谷の駅頭でハチ公像が除幕されている。ハチ公は翌1935年(昭和10年)3月8日、11歳4ヶ月で死亡したが、主人に忠実な秋田犬は、忠犬ハチ公の名とともに、ますます世に知られることになった。この1934年(昭和9年)頃から、秋田犬保存会は犬籍登録を実施、1938年(昭和13年)には「秋田犬標準」も制定され、展覧会も開催されるようになったが、これは太平洋戦争(大東亜戦争)の勃発によって、一時中断されることとなった。
戦中の受難と戦後の混乱

切手に描かれた秋田犬(1953年(昭和28年)発行)
日中戦争から太平洋戦争に至る時代の食糧不足、ことに大戦末期と終戦後の深刻な食糧難は、大型犬である秋田犬の保存に甚大な被害を与え、秋田犬の数は激減した。餌として与えるものも、ワラビノリやカタクリ澱粉、野菜類など、植物質のものがほとんどであり、どうにか生き延びても子が生まれなかったり、生まれた子犬も栄養失調で育たず、ようやく育っても、ジステンパー等の病気によって、大部分が死亡したという。
大型犬であればその分必要とする食料も多くなることは言うまでもないが、犬に餌をやるだけでも国賊呼ばわりされたという時代、大きな犬は目を引く分、風当たりも強かった。戦時下では、軍用の防寒衣料として犬の毛皮を使用したため、軍用犬となるジャーマン・シェパード・ドッグ以外の犬には捕獲命令が出されていた。その捕獲を逃れる目的で、ジャーマン・シェパード・ドッグを交配したことが、秋田犬の純化を後退させることともなった。
1945年(昭和20年)の終戦の時点では、血統の正しい秋田犬は、愛犬家の非常な努力により残された、僅か十数頭に過ぎなかった。これらの犬を土台として、戦後再び純血種としての繁殖固定が行われた。
太平洋戦争開戦以前の1937年(昭和12年)7月頃、来日していたヘレン・ケラーが秋田を訪れ、秋田犬を所望した。翌月に彼女に贈られた「神風号」は、初めてアメリカに渡った秋田犬である。神風号はその後ジステンパーで死亡したが、1939年(昭和14年)7月、今度は神風号の兄犬である「剣山号」が贈られている。
戦後になってケラーの犬のニュースが広まり(彼女は1948年(昭和23年)の再来日時に秋田を再訪して謝意を表している)、また当時日本を占領していた連合国軍のアメリカ軍兵士らが体が大きく愛らしい顔つきの秋田犬を好んで飼ったことや、戦後混乱期に番犬としての需要が高まったことが相まって、秋田犬はちょっとしたブームとなった。このため、この時代は、雑種化したものまでが高い値段で売られ、1955年(昭和30年)頃までは、さまざまなタイプの「秋田犬」が繁殖・販売されたという。
この当時広く出回った、太く大きく雄大ではあるが、顔・色・体の造り等に、戦時中に交雑したシェパードの特徴を半ば残しているものを、「出羽系」と呼んでいる。この頃全犬種団体共同の展覧会でトップになった「金剛号」も出羽系であり、秋田犬保存会においてさえ、金剛号の子で同じ出羽系の 「金朝号」が名誉賞を受賞している。出羽系には繁殖力の強さもあり、昭和20年代を通して、秋田犬界を席巻する勢いがあった。
しかし、その一方では、僅かな純血種の個体を土台として、マスティフやジャーマン・シェパード・ドッグ等の外来犬の特徴を除去して本来の秋田マタギ犬に近づける努力が、保存会を中心に続けられた。改良、繁殖、指導への取り組みが実を結び、大型犬種としての固定化が実現したが、1955年(昭和30年)頃からは、 この「一ノ関系」が秋田犬の主流となった。やがて出羽系の犬は、国内ではほぼ完全に排除されることとなった。
一方、占領軍兵士の帰国とともにアメリカに渡った当時の「秋田犬」の子孫は、現在「アメリカン・アキタ・ドッグ」として、アメリカを始め、世界各地に広がっているが、これらはほぼすべてが出羽系の血統であると言ってよい。多くの地域では、その当時の犬の子孫がそのままに飼われており、現在の日本の秋田犬とは外観などがかなり異なっているので、独自の犬種と見なされている。JKCの犬種リストでも、アメリカン・アキタに別項を立てている。
例外的に、アメリカ西海岸のみは、1969年(昭和44年)に秋田犬保存会の支部が作られ、毎年の展覧会や継続的な指導の結果、日本と変わらなくなっている。
その後、秋田犬は全国的に飼育されるようになり、現在に至っている。1977年(昭和52年)には、秋田犬保存会創立50年を記念して、日本の犬種団体では唯一の博物館である「秋田犬会館」が大館市に建設された。